「昔話」タグアーカイブ

New Mexicoの青空の元での1年

国際線のフライトが次々とキャンセルされていく中,這々の体でアメリカに戻ってきたのが今から丁度一年前です。夏くらいには規制も緩和されるだろう,そうしたらまた日本に帰国しようなんて思っていたのに,この有様。

全く飛行機に乗らない1年なんて,学生時代以来かもしれません。学生の頃だって,年一回程度は飛行機を使ってたかも。飛行機どころか,最大の遠出と言えばAlbuquerque空港往復のみですよ。通勤もありませんので,この1年殆どガソリンにお金を使っていません。

ほぼ自宅に引きこもり生活です。対照的だったのは大学院時代に住んでいたワンルーム。がらんとして必要最小限のものしかない部屋は,基本的に寝に帰るばかり。とは言え,深夜の寝酒と音楽は,当時も今も変わらないかもしれません。

それにしても,学生時代の一人暮らし,音楽聴いてたことしか思い出しません。テレビもネットも無い時代,何してたんだろ。

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近所の駄菓子屋看板屋

前を走っていたのが広告看板作製会社の車で,ふと小さな看板ショップを思い出しました。

昭和の風景で必ず出てくるのが,近所の駄菓子屋さん。おばあさんが店の奥に一人,10円のチロルチョコやら,怪しげな当たり付き飴やら,売ってる雰囲気。そんな店が子供の頃近所にありました。

もっともそこは駄菓子だけでなく,日用雑貨も置いていたので,今で言うコンビニかも。その店で買う定番は「ブラックモンブラン」でしたが,それはさておき,駄菓子屋の隣に看板ショップができたのです。ばあちゃんの息子なのか,婿さんなのか,とにかくおじさんが一人で始めたらしい。

その小さな作業場に潜り込んでおじさんの作業を見ていたことがあります。アクリル板を糸鋸で綺麗に切り抜き,文字を作っていく。

でも記憶はそれっきり。そもそも作業場が使われている形跡もなし。あのおじさん,何してたんだろう。今の時代なら看板広告の仕事も多いでしょうが,当時はまだ早すぎたのかも。

駄菓子屋の場所をGoogle Street Viewで見てみたら,ごく普通の住宅になってました。そりゃそうだ,昭和の話です。

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実物は電子メールでは送れません

日本のクレジットカード会社から「新しいカードを送付しました」というメール連絡がきて,有効期限が今月までだったことを思い出しました。さほど頻繁に使わない日本のカードですが,無いとちょっと不便。以前だと実家に送られてきたものを,帰国ついでに回収していたのですが,それができません。

近くに住む従姉妹に,こちらに送ってもらうように頼みました。普通の国際郵便です。まあ大したことは無いだろうと思ってたら,彼女からの返事は,

「了解 … でも生まれて一度もエアーメール出したことない」

え?って思ったものの,国際郵便を出したことが無い人のほうが多いでしょうね。普通は必要ないし。

生まれて初めて海外に郵便出したのは,いつのことだったか。多分,中学生のときに短波ラジオで「聞こえたよ〜」をアジアのどっかに送ったのが最初かも。

大学院生になってからは,年に数度は国際郵便の世話になりました。メールが一般的になったのは学生途中ですが,まだ文書は送れなかったので,印刷してサインして返送。悠長な時代でしたが,クレジットカード本体は,今もメールでは送れないようです。

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凍結は想定外

お隣の州が大変なことになっております。一刻も早く電気水道が復旧することを願っております。極端な寒波で水道管が凍結,ここは-20℃まで下がることもあるのでそれなりに対応していますが,あちらは想定外のことだったんでしょうね。

小学生の頃,水道管の凍結というのを体験しました。台所の壁の向こう側に水道管が剥き出しな家屋なんだから,そりゃ凍るでしょう。九州じゃそこまで気温は下がらないだろうというところに,想定外の大雪の夜。

その晩,僕は自宅に一人で,水が出ない状況に,何を考えたのか,ストーブの上のヤカンにせっせと雪を入れてとかし,ヤカンいっぱいのお湯を作ってました。それを水道管にかけて凍結をとかそうとしたのかどうかは定かではありません。

やがて母親が帰ってきて,お湯あるよと言ったものの,それをどうこうしたかの記憶もありません。ただ,雪の中にどうやら小石が入っていたらしく,空になったヤカンがカラカラと音を立てていたことだけを覚えています。

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変身するのに必要だったはず

ニュースのタイトルをたらたら見てて,「電話ボックスがどーたらこーたら」と一瞬目に止まったのですが,さして気にも止めずに流れていってしまいました。多分,今どきまだ電話ボックスなんてあるのかなとか,そんな感覚が一瞬脳裏を過ぎったのでしょう。

すでに周りがケータイで溢れる時代になっても不携帯を貫いていたため,電話ボックスは使っていました。とは言え,普段使うことはありません。せいぜい出張先でなんかの連絡が必要になったときだけ。ISDN端末が付いた公衆電話はそこそこ便利でした。

電話ボックス,それも夜間に入った瞬間,何だか異空間に閉じ込められた気分になりました。周りは暗いのに,そこだけ人工的な明かり。いつもの匂い。ガラス壁面には,怪しげな広告がベタベタ。緑電話の上には使い切ったテレカが寂しげに放置されています。

歩道に陣取って邪魔な存在でしたが,使わなくなったボックスの再利用ってあるんですかね。路上更衣室とか。

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ポータブル暖房があったら

家全体に暖房が入るのがアメリカの住宅では普通ですが,全部ぬくぬくより足元だけのほうが快適なので,室温控えめにして炬燵生活です。でも実は炬燵ってずっと長い間,自分にはあまり縁のないものでした。

小学生低学年の頃は家にあったと思います。でもいつの間にかちゃぶ台としての機能のみを残し,炬燵布団の記憶はありません。それが何十年も後にわざわざアメリカに輸入するとは。

そんな小学生時代,祖父母の家にあったのは掘り炬燵。田舎に古くからある伝統の,と言いたいところですが,祖父が板の間を四角く切ってわざわざ作ったもので,実態は普通の電気炬燵でした。

そしてその隣に常にあったのが火鉢。

僕はこれが大好きで,冷えた手を火鉢で暖めては,毎日のように餅を焼いて食べてました。そして事あるごとに祖母に言っていたのは,

これ,形見にちょうだいね

まだ死にそうな歳じゃなかったはずですけど,歳月は流れて火鉢用の練炭も入手困難になったのか,使われることもなくなりました。やがて祖父母は他界し,その家も無くなりました。

そんな家のことをふと思い出し,そう言えばあの火鉢どうなったんだろう。重たくかさばる陶磁器です。おそらくは家を解体するときに廃棄されてしまったのかも。

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