「創作」タグアーカイブ

虹の断片の音

虹の断片
虹の断片

「虹の音,聞いたことある?」

あまりに唐突な僕の言葉に,彼女は「え?何?」と聞き返した.裏に別の意味でもあるのかと.

「指で虹をそっとなぞって行くと出る音だよ」

雨上がりの雲間に現れた虹の断片へ手を伸ばし,僕はそれをひょいとつまんだ.

「ほら,ここに指先を触れると,音が聞こえる」

虹の色の輪に沿って指を動かすと,硬く透明なクリスタルグラスの音楽が響き,虹の断片は小さく砕けてきらきらと光りながら落ちていった.

「色が変わると,音も変わるのね」
「色だけじゃなくて,ものの硬さとか滑らかさで,色んな音が出るんだよ」

僕はそう言うと,彼女のバッグに付いたディズニーのキャラクタを指でなぞると,良く知ったディズニーの音楽を奏でた.

「すごい!」

驚いて僕の指をまじまじと眺める彼女の頬にいきなり指を触れ,そっと耳の方へ滑らせていった.ふわりとして柔らかい音楽が指先から響いてきたが,突然僕に触れられた驚きと戸惑が音楽を曇らせた.

僕はそれを無視して,今度は彼女の肩から腕へ,薄い青のブラウスを指先でなぞっていった.明るく澄んだ木管楽器の音楽が響く.指が袖の先に到達すると.今度は彼女の背なかから,ブラウスの中へ手を回した.

「あっ」と驚き体を離そうとする彼女の腰を左腕で押さえ,指で彼女の肌を奏でていく.背中から腰へ,そこから彼女の下着へ.

「だめ,そこはダメ!」

僕の腕を振り払おうと激しく抵抗する彼女を無視して,彼女の下着を指先で探り当て,そこを指でなぞった瞬間,指先が激しく奏でたのは,ルパン三世のテーマだった.

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5月の休日物語,その5

毎朝同じ車両の同じドア横で文庫本を読む女性が,ずっと気になっていた.本にはカバーがかかっており,何を読んでいるのかはわからない.僕が電車に乗り込む時,読みかけの文庫本を胸に伏せるようにあてて体を避け,3つ先の駅で大きな人の流れと共に消えていく.そんな姿をこっそりと見るのがささやかな非日常になっていた.

そしてある日,僕はいたずらを決行した.彼女の斜め後ろに立つと,3つ先の駅を待った.ドアが開くと同時に彼女のバッグの中へ一冊の文庫本を落とした.川端康成の小説だった.人混みに押されながら駅の階段を降りていく姿から,計画が上手く行ったことを確信した.

翌朝,そこにはいつものように文庫本を読む彼女の姿があった.ただ違ったのは,本にカバーがかかっていなかったこと.彼女はあの川端康成の小説を読んでいた.僕は素知らぬ顔で車両の奥へ進んだ.

数日後,残りページが少なくなったのを確認し,また彼女のバッグに文庫本を落とした.これも美しい文体で書かれた古い小説だった.そして翌朝,彼女が胸に伏せていたのはその本だった.

パイプのけむり
パイプのけむり

5月の連休に入ると,そんないたずらもしばし中断である.僕は3つ先の駅の町にある大きな書店の文庫本コーナーへと向かった.僕が選んだ本を彼女が読む姿を想像すると,不思議な達成感のようなものがこみ上げてくる.でもこんなストーカーのようなことをしている自分にとって,彼女が遠い存在であり続けることも分かっていた.

文庫本棚の一端まで歩くと,そこには「店員お薦め」の本が並んでいる.どうせ最近のベストセラー本だろうと思ったら,そうでは無かった.

そこに並んでいた文庫本は,僕がずっと彼女のバッグへ忍び込ませ続けたあの古い小説たちだった.一冊一冊,その店員さんの短いけれど暖かい感想文が書き添えられていた.店員さんの推薦文が,まるで僕への手紙のように思え,顔から火が出るように感じてきたその時,背後から声がした.

「次の本は見つかりましたか?」

僕は顔が真っ赤になって振り返ることができなかった.

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5月の休日物語,その4

普段なら不快な機械の低音が響き続ける大学の実験室も,連休中は静かである.休日お構いなしに出てくる実験室の主のような博士学生も居るが,この連休は電源を全て落とすと伝えてあるので,諦めてアパートで呑んだくれて寝てるのだろう.念の為に早朝に研究室へ出てきたが,実験室の主の気配は無い.今日がチャンスである.

落としてあった主電源を入れ,実験装置とコンピュータのスイッチを入れる.装置が低い唸り声とともに動き始め,コンピュータの画面にログインパネルが現れた.

パスワードを入力すると,装置制御コンソールが開き,ウォーミングアップの表示.装置が安定するのを待つ間,薬品棚の鍵を開け,幾つかの瓶を取り出した.

ビーカーにアミロースとアミロペクチン,スクロースを混合し,そこへNaHCO3を加える.蒸留水に溶解させた後,その実験試料を円形のプレートに広げて装置の炉内部にセットした.

実験装置
実験装置

実験温度を455K(ケルビン)にセットし,圧力は大気圧のままとした.炉内温度が上昇してくると,プレートに広がった試料から次第に泡が生成し始めた.どうやらうまく行っているようである.

小麦粉と砂糖,それにベーキングパウダーの主成分を使ってホットケーキを作ることができるのか.それが科学者としてのチャレンジだった.化学成分が同じなら,同じものを合成できるはず.科学的に間違っていないはず.その信念を心に燃やし続けて,この日に至った.

試料が次第に色付いてくるのを耐熱ガラス窓越しに観察しつつ,温度を微妙に調整し,降温プログラムをセットする.あと2分30秒で完成するはず.次第に香ばしい香りが実験室に広がってきたその時,部屋の片隅で物音がした.

ガサガサと繊維の摩擦音が聞こえた後,ジッパーが開く音.無造作に床に転がった寝袋から出てきたのは,実験室の主だった.

「おまえ,いたの!?」
「先生も休日出勤ですか?」
「ああ,いや,ちょっとやり残した実験があって…」
「ホットケーキ作るんだったら,タマゴも入れないとダメっすよ」

彼はそう言うと,薬品棚を開け,アルブミン,オボトランスフェリンと書かれた瓶を取り出してきて言った.

「リゾチームも少し入れた方が旨いっすよ」

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5月の休日物語,その3

連休に帰省し,懐かしい故郷の商店街を歩いていると,見慣れない土産物屋があった.土産を売るほどの観光地でも無いのにと中へ入ってみたら,天然石を使ったジュエリーの店らしい.よくあるパワーストーンとか言う,鰯の頭も信心からの類.ガラス質に輝く黒い石は「ソルテ石」と言う変な名前が付けられ,幸運の石と謳われているが,どうみても単なる黒曜石だ.片手サイズのソルテ石の重さをしばし手のひらで量り,その丸く磨かれた石を何故か買ってしまった.

帰省先から戻る飛行機内で,その黒曜石,いやソルテ石を何となく眺めていると,隣に座っていた女性がふと声をかけてきた.

「何か特別な石なんですか?」
「ああこれね.幸運を呼ぶんだそうですよ.あはは,変ですよね」
「へ〜,面白そう」

彼女はソルテ石を受け取ると,

「あら,思ったより軽いんですね」

え,そうかな.僕の手のひらに戻ってきたソルテ石は,そう言われると何だかちょっと軽くなってるような気がした.

それから僕らはとりとめない会話をし,その会話は週末毎に繰り返されるようになり,そして次の年の5月に僕らは結婚した.

ライラック
ライラック

ソルテ石は居間のキャビネットの上に置かれていた.家内は気づいていないようだが,僕が買った時に比べて半分ほどの大きさになっている.

一年後の5月,長女が生まれた.僕らは迷うことなく「さつき」という名前を選んだ.ちょっと古風な名前だけど,それが一番自然に思えたから.そして,さつきが一歳になった頃,ソルテ石はビー玉サイズになっていた.

休日の午後,ことりと音がしたかと思ったら,ビー玉は床へ転がり,さつきはそれを拾うとそのまま口へ入れた.

「さつき,それ,だめっ!」

家内の言葉に驚いたさつきは,石を喉に詰まらせた.息が止まって苦しむ娘の姿にパニックになった家内は

「あなた! さつきの喉に!」

慌ててさつきの口を開けてみるも,異物は何も見えない.すぐに吐出させないと.

さつきのお腹を腕で抱え,背なかを叩いた.確かこうするんだった.いや,逆さ吊りにするんだったか.分からない.でも何とかしなくては.

白目をむいたさつきの姿に,家内が泣き叫んでる.出てきてくれ,それだけを考えて背なかを叩く手が次第に激しくなる.

「泣くな! 救急車,はやく電話!」

叫んだ瞬間,さつきがケホっと小さく咳をした.それからしばらく咳き込んだかと思うと次第に治まってきた.

石が出たのか.辺りを探したが,どこにも見当たらない.やがて救急車が到着した頃には,さつきの容態はまるで何事も無かったのように普通に戻っていた.

気道を塞いでいた石はどうやら取れたらしい.飲み込んでしまったのか.念の為に搬送された病院でレントゲンを撮るも,どこにも石の影は写っていなかった.あの石は消えてしまったらしい.僕はソルテ石を初めて手のひらに乗せたときの重みを思い出していた.

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5月の休日物語,その2

連休に入り,新人研修がようやく一段落した.3月には新しく始まる日々に心躍らせていたのに,4月になると子供扱いされる日々.期待と現実の乖離に,次第に心が重くなってきていた.

「5月病」そんな言葉が頭をよぎる.自分が思っていたほど,俺にこの仕事は向いてなかったんじゃないか.もしかしたら転職した方がいいのか.でもまだ入ったばかりじゃないか.連休だと言うのに混乱し頭が破裂しそうだ.俺はふらりと外へ出た.

あてもなく歩き,古い商店街を通り抜けたところで,ふと看板に目が止まった.

転職屋

民間のハローワークみたいなものか.思わず引き戸を開けると,老人が一人,事務机から物憂げそうな目を僕に投げかけてきた.

「仕事を紹介しているんですか?」
「まあな,50年ほどやっとる」
「今の仕事に行き詰まってるんですが...」
「5月になるとあんたのような若者も出てくるな」
「他にもいるんですね」
「そういう連中の仕事を交換しとるんじゃよ」

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俺はふと壁にかかったカレンダーを見た.5月である.

目を入り口の引き戸に転じると,憂鬱そうな顔をした若い男性が店内に入ってくるのが見えた.

「仕事を紹介しているんですか?」

俺は机に広げた新聞に落とした目をあげ,彼の姿を値踏みするようにゆっくりと眺めてから,言った.

「この仕事を始めて,もう50年ほどになるかな」
「今の職場に馴染めなくて...」
「仕事を交換してあげよう.俺はあんたを50年待ってたんだよ」

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5月の休日物語,その1

連休だと言うのに出勤である.取引先からシステムトラブルの連絡を受け,急遽会社へ駆けつける羽目になった.普段なら満員の電車に,座って通勤できるというのも皮肉なものである.

博多駅
博多駅

一足先に鈴木先輩が会社に到着していた.このシステムを担当する美人プロジェクトリーダである.

「本田君,ここんとこ,もう一度テストしてみて」

川崎サツキが担当した部分である.ちょっとそそっかしい新人の女の子である.鈴木先輩もサツキが作った部分が怪しいと睨んでいるようだ.プログラムをテストしながら,自分のキーボードを打つ音だけが響く静寂の会社の中で,さっきから気になっていたことを先輩に聞いてみた.

「あの,鈴木さん,どうして川崎本人を呼ばないんですか?」
「ああ,さつきちゃんね,連休を恋人とハワイで過ごすんですって」
「え〜,それで俺が呼ばれたわけ?」
「本田君,優秀だから,問題解決なんてすぐよね」

笑顔の素敵な鈴木先輩にそんなこと言われたら,川崎への怒りもファブリーズでさっと一吹きである.実際,休日の会社に男女二人っきりの状況である.もしかしたら何かが始まるんじゃないかと期待が膨らんできたのも事実である.

午後になり,なんとか作業終了が見えてきた.このまま順調に行けば夜までには終わるだろう.鈴木先輩の黒くて長い髪を横目でチラチラと見ながら,もしかしたら夕食を一緒になんてこともあるかなと,少しワクワクしてきた.

「本田君,なんとかなりそうね」
「ええ,この調子なら夜までには終わりますね」
「じゃあ悪いんだけど...」

鈴木先輩はおもむろに椅子から立ち上がると,

「さつきちゃんが空港で待ってるから,あとはよろしくね!」

そう言って,机の下からスーツケースを取り出し,会社を出ていった.

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