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コンピュータの古文書を解読してた

ひょんなことから,他人の書いたコンピュータ・プログラムを読んでおりました。自分のプログラムですら,数ヶ月前に書いた箇所は思い出すにしばし時間が必要だと言うのに,他人のコードなんて暗号です。

おまけにプログラムは古典的なFORTRAN77,1977年仕様ですよ。そりゃまあ学生の頃は僕もそれで書いてましたけど,いまどきこんな言語使う人は激減してるはず。

読むだけならともかく,あれこれいじってます。こんな書き方して良かったんだっけ,こうやったらどうなるんだっけ,もう試行錯誤状態。

通なプログラミング,専門用語ではハッキング。日本のマスコミの誤用でハッキングはネガティブなイメージとなってしまいましたが,ハックこそ人生。

と言いたいところだけど,若い頃みたいに毎晩2AMまでプログラミングはもうできません。そもそも古文書相手だし,やっぱ音楽こそ人生くらいが気楽です。

May めい 迷プログラム

驚くことに,すでに五月です。Im wunderschönen Monat Mai,花咲き風薫る五月,でも相変わらず家の内側からガラス越しに世界を見ているような在宅ワークが続いています。とは言え,すっかり自宅仕事に慣れてしまったので,もうこのままこれでもいいやと思う今日この頃。

さて,仕事関係でコンピュータプログラムをあれこれ書きます。殆どは自分専用ですが,中には同業者の利便に供するものもあり,あれこれ書類手続きを経て公開しているものがあります。先日もそんなプログラムを公開しようかと,手続きを始めました。

でもこの手続き,未来永劫かというくらい時間がかかるのです。実際に手続き完了するのは来年くらいだろうと皮算用し,公開するには少々とっちらかったままのプログラムを申請。そのうち掃除しようという魂胆。

それが驚くことに,数週間で申請が通ってしまったのです。今夜慌ててファイルの清掃中。適度にコメント入れ,英語を再チェック。ライセンス文書やらを追加し,なんとか公開しました。世界中で3人くらいしたダウンロードしないかもだけど。

プログラマという肩書

狭い同業者世界なので,自己紹介で職業を言う状況はまずありません。でも過去にそういう状況になったとき,その先あれこれ突っ込まれるのは面倒だったので,プログラマと何度か答えてます。

実際仕事の一部はプログラミング時間に割いていますので嘘ではないし,それなりに自信あるスキルでもあります。普通,コンピュータ関係と言っておけばさほどその先を突っ込まれることもありません。

でもたまーにピンポイントで話題のツボに嵌ることがあるので要注意。とある日本のホテルのバーで,そういう目にあったことがあります。バーテンダーが,実はそういう専門学校に通ってるんだとか。

かなり専門的に突っ込んできましたが,百戦錬磨のこちらのほうが一枚上手,経験値が違います。Internet黎明期の話とかしてあげると,目をキラキラして聞きったり。いやそういう接客術だったのかもしれませんが。

名前の考えすぎに注意

以前も何度か書いたのですが,コンピュータプログラムの名前,実験装置の名前,はたまたプロジェクトの名前,よくまあ色々ときゃっちぃな名前を思いつくもんだと感心します。

別にこちらの人の特技というわけでもなく,日本だって神岡鉱山のカミオカンデだの,京コンピュータだの,ひねりの効いた名前がたくさんあります。

僕はどうもこういうのが苦手で,先日書いた新しいプロジェクト概要でも,さんざんうんうん唸って考えた挙げ句,結局なんの変哲も無いタイトルで提出したほど。一応同僚らに「なんか良いのない?」と聞きはしたものの,僕の周りにそういう才能がある奴はいないらしい。

そんななか,またまたオシャレな名前をつけたものが出てきたのです。星座名ですが,上手い具合になにかの略語になってるのかと聞いてみたら

「ううん,適当」

意味は全く無いらしい。たまたま思いついただけで,なんか別のにしてもいいよ,とのこと。そんなんでいいのか。自分が考えすぎなのか。やっぱりそれはそれでセンスなのか。

Scientistの作品番号

作家,画家,音楽家,彫刻家,その他多くの芸術家の皆さんは,作品で後世に名を残します。僕たちのような職種になると,残るのは学術論文ということになりますが,実は一旦書き終えてしまった物にはあまり執着しません。芸術家によっては過去の作品を何度も手直しする人がいるのとは違います。そもそも出版された論文の手直しはほぼ不可能で,とんでもなく間違ってたら不承不承取り消しという形もありますが。

どちらかと言うと,僕たちが残してるのはコンピュータ・プログラムかもしれません。勿論何十年も経ったら陳腐なものとして忘れ去られる運命ですが,自分が成仏できる程度には残ってるはずです。

仕事柄,かなりの量のプログラムを書いてきました。驚くことに,学生時代に書いた旧式言語のプログラムで,今も誰かに使われてるものもあります。動くんだから良いんですけどね。

職場の大先輩に,そんなコンピュータ・プログラムで一世を風靡した方がおられました。ご本人は有名になろうとかそんな野心の全く無い方で,当時気前よくプログラムを配布してくれたので,多くの研究者がその恩恵に預かることができたのです。当時学生だった僕もその一人で,そのソースコードを貪り読んで勉強したものです。

その方は数年前に他界され,今となってはグループ若手に名前を言っても「そんな人,知らない」の寂しい返事。でも,あのプログラム書いた人だよと言えば「あぁ」となります。なんかそういうのを残してみたいもんです。

なんでこれで動くのか分からない

以前作って長いこと放置していたプログラムがあるのですが,数日前から俄然やる気に目覚めて取り組んでいます。とある共同研究の一貫で書き始めたプログラムなのですが,なんとなくやる気全開にならないまま月日が流れていきました。

どれくらい流れていったのか。ファイルの日付を見て俄然としました。なんと3年前ですよ。2016年からずっと放置。共同研究者も,呆れを通り越して,すっかり忘れてるっぽい。

コンピュータ・プログラムって,自分で作ったものであっても年月が経ってると,何をしてるのかさっぱり分からなくなります。最近はそういうこともあろうかと,なるべく丁寧にコメントを入れるようにしてはいるのですが,それでも「なんじゃこりゃ」となることしばしば。

先程もパソコン画面を睨みつつ,うーむと唸っておりました。なんだろうこれ,なんでこれで計算できるんだろう。

僕は自分で書いたプログラムは職場の同僚・後輩にそのまま渡しています。使って便利という理由だけではなく,中を読めば何をやってるのか勉強になると思うから。教科書で勉強するより,ずっと効率が良いはずなのです。

でも残念なことに,中を見ようとする人は極わずか。みんな勉強しないなあと少々不満だったのですが,理由は別にあったようです。自分で書いたプログラムを自分が分からないのに,他人に分かるはずがないと。