
2003年4月7日に福岡を出発し,時差の関係上同日この地に到着しました。今日で渡米20年です。とうの昔に,ここが人生で一番長く住んだ場所となっております。出発の日に買った新聞,ずっと引き出しに入ったまま20年。ちなみにアトムの誕生日でした。
色々あったけど,まあまあなんとかやってきました。後半になるにつれ,色々の度合いが増大して頻繁に帰国しましたが,それもまあなんとか。
渡米当初は,あれが無いこれが無いと不便な日々でしたが,流通も増え,ネット通販も充実,それになにより無いもの無いとの割り切りに慣れました。米をAlbuquerqueまで買い出しに行ってたのも過去の話。楽譜やCDはもちろん,今じゃカップヌードルすらネットで買えます。もちろんお高めですけど。
新聞や雑誌はネットで読めます。そもそも日経新聞のオンライン版を毎朝読んでます。
ただ一つ,便利にならないのが移動。日本へ帰国するにはやはり24時間がかり。今後どれだけ待っても,どこでもドアはできそうにないし,狭い機内で10時間我慢は続きます。
ちなみに前回帰国したときは,ちゃっかりとビジネスクラスのチケット買いました。無料アップグレードではなく,普通にお金出して。エコノミーの数倍ですが,ああいうのを一度味わってしまうと,エコノミー席には戻り辛いのが難点。
渡米20周年となられましたか。
奇しくもアトムの誕生日の日からとは。狙ったわけではなく?
最初の頃は慣れないことも不便なことも色々とおありだった
でしょうね。それでも20年はあっという間に感じられそうです。
20周年を迎えられたこと、おめでとうございます♪
ポージィさん,気づいたらもう20年,びっくりです。アトムの誕生日はもちろん偶然ですが,なんか親近感わきますよね。今でもあれこれ不便ある田舎ですが,ましゃあない,の気分でやっております。
渡米20周年記念おめでとうございます。
一日一日の積み重ねが20年になるとは、何だか単純そうで凄いです。思い起こせば、20年中海外出張へは述べ何日間お出かけになられたのでしょうか。訪問して出逢ったモノなど思い出もてんこ盛りですね。
また20年の中でお子様の成長、ご両親の他界などなど色々大変なこともありましたね。遠隔でご苦労もあったとお察し致します。
これから先もケセラケサで楽しんで人生過ごされてください。
いたずらリスさん,海外出張の総計ですか,年平均3回くらいだと思うので,合計400日くらいですかねえ。考えてみたらすごいな。過去の旅は次第に記憶が薄れてますね。そんなとこ行ったっけなあ,みたいな。日本の家も失くなってしまったことですし,根無し草生活もすっかり板についております。
どこでもドアの開発に成功したベンチャー企業があったのですが、存続の危機を察したJRと航空各社のロビー活動に阻まれ、頓挫したそうです。ドラえもんの時代は遠いですね。
Hiroさん,どこでもドアを反転して重ねたら,メビウスのドアになると思うんですが,そんな実験もベンチャー企業なくしては実行不可能です。
20周年おめでとうございます。前世紀からこっち、通信系は格段の進歩を遂げましたね。わたしが渡米した頃は電話が繋がるまでの2週間だかそこら、一言も日本語を話さない時期がありました。通じたら通じたで電話代が何万円。今は無料で画像付きです。メールもパソコン通信しかなく、文字化けさせないために、日本のアクセスポイントに国際電話をかけて、これまた何万円。そのうち、こっちの大学のメインフレーム(なんてのはもう死語ですかね)から日本の某研究所のメインフレームに入り込み、モデムを操作して市内電話をかけさせ、パソコン通信網に入り込むなんてことをしたり。ビジネスクラスはちょっと広めのソファーだったのがフルフラットの個室もどきに進化しましたし、コンコルドが復活すれば、ってそれはないか。
missssyさん,かつての通信事情とは雲泥の差ですよね。大学ネットワーク経由で海外と通信というのは,かつて日本からやってましたけど,メインフレームの終焉期あたりのことでしたね。ビジネスクラスの真っ平らなベッドはほんと楽です。寝るのがもったいないくらい色々出てきますけど,ワインがほどよく効いて熟睡したら,もう到着ですもん。