三大交響曲にしては大きくない

以前も書いたような気がするのですが,三大なんたらシリーズの音楽編,三大交響曲。どこかのオケのコンサート案内で,三大交響曲の夕べみたいなプログラムがあったのです。

三大交響曲,どれだろう。まあ興行的にはBeethovenの5番通称「運命」,Schubertの終わらない青春「未完成」,これはいま8番なんでしたっけ。7番?

さてもう一曲。えっと,なんだろう。Beethovenがダブっていいなら第九,そうじゃなければMozartの41番Jupiter,Brahmsの1番,Brucknerの8番,Haydnの…,この人はまあいいや。

答を見たものの,なんだかあまり納得できません。三曲目はDovrakの交響曲第9番「新世界から」。

確かにポピュラーな曲ではありますが,BeethovenとSchubertに並べるのって,ちょっとどうなんでしょ。やはりウィーンに縁ある人じゃないと。

考えるに,この3曲ってコンサートのプログラムとして組みやすいんでしょうね。Beethoven, Schubertは短めなので,前半にこの2曲。新世界を後半に置いて,終わりのじゃ〜〜〜〜〜〜んで余韻を引きつつ解散。いやいやいい演奏だった。やっぱり交響曲の終わりは,じゃーんでなくちゃ,でSchubert涙目。

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6 thoughts on “三大交響曲にしては大きくない”

  1. ドヴォルザークよりブルックナーの8番を是非入れてほしいです。
    最後にふさわしく長いです。ウイーンだし。
    でも「三大」って誰でも知ってるってことなんでしょう?
    だったらいいじゃありませんかウイーンじゃなくたってドヴォ9で。
    重量感あって堂々としてて派手です。
    問題は第二楽章なんですよね。
    アレが好きくないですね私は。
    二楽章どけてほしい。あれは下校時の音楽「家路」です。
    でもそうかそのおかげで3位になったのか?

    1. Chieさん,そもそも三大の意味が,単に偉大なということなのか,メジャーなということなのか,そこですよねえ。チャイコフスキーの悲愴入れてもいいと思うんですが,あれは最後が盛り上がらない。
      遠き山に日は落ちて,って歌ってると,最後の部分,「いざや楽しきまどいせん」

      「まどい」ってなに?

      1. うちの小学校でも下校の音楽でしたね。東京都南部は共通してそうだったのでしょうか。森田健作も学んだ小学校です。彼とは同じ金次郎さんを見て学んだ仲ということになります。同時期ではないですが。で、まどいってのは漢字だと円居とかくようで、囲炉裏を囲んで団欒といった感じですかね。円陣を組むとなると時節柄兵庫県でやっていることになり、だいぶ雰囲気が変わりますね。ガレージでエンジンを組むのはアメリカでは週末の趣味としている人が多いかもしれません。ガレージでマザーボードを組んだのがゲートウェイで、ブランド無き後も港区にその名を残しています。

        1. missssyさん,円を「まど」と読むのは円広志くらいしか知らないのですが,囲炉裏を囲んでヤマメの塩焼きを肴に一杯なんて情景ですと,小学校の下校にはそぐいませんね。ガレージで電話をタダでかけ放題する機械を作ってた人もおりましたが,こちらではガレージでのビール作りが高じて,化学工場もどきに魔改造してしまった人もおられます。

  2. 運命と未完成と新世界。どれも短調で始まって最後は長調で曲を閉じるパターンですよね。まあそういう交響曲たくさんありますし、みんな葛藤を乗り越えるハッピーエンドに感動するんですね。人生最後は絶望に沈む『悲愴』じゃダメなんでしょうか。もっとも、シューベルトは最終楽章をどういう仕上げにするつもりだったか謎ですけど。

    1. Hiroさん,悲愴のね,3,4楽章ひっくり返して演奏したら,最後盛り上がると思うんですよ。シューベルトは,最後が完成できなかったら,「テ・デウム」を演奏して欲しいと言ってたそうです。

      あれ,違う人だっけ。

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