5月の物語「月の光」

有名な作家でもある祖母だが,孫娘の私に一切合切の事務仕事を押し付けてしまえるのは,本人も気が楽らしい.大学を卒業後,ずっと祖母の秘書のような仕事を続けている.スケジュールを管理し,出版社からの連絡を橋渡しし,執筆のための資料を集めることもある.

出版担当者が先生の自宅まで原稿用紙を取りに来る時代でも無いが,律儀な編集者は何かにつけ先生にご挨拶にくるのが常である.いま祖母が執筆中の小説を担当している若い編集者は,どこか頼りない風情でもあるが,先生が執筆活動に専念できるよう気配りしているのも見て取れる.定期的に仕事場を訪れる彼を,いつの間にか心待ちしている自分がいる.

その小説もようやく上梓となり,出版社の主催で出版記念パーティが開催されることになった.私も秘書としてパーティに招待され,出かける準備をしているところに祖母がやってきた.

「これをあげるから,付けて行きなさい」

彼女が手にしてたのは,微かに青く染まったダイヤモンドのペンダントだった.若いころに書いた小説が初めて売れた時,自分へのご褒美として買ったものだと言う.

「高そうなダイヤだけど,いいの?」
「pale blue diamondっていうの.すごく珍しいのよ」

胸元に小さく青ざめて輝くダイヤモンドは,私には少々不釣り合いな気がした.

祖母と二人,パーティ会場のホテルに早めに到着すると,あの若い編集者がロビーで待っていた.私達に目を留めた彼はにこやかにやってきて先生に挨拶し,それから私の方を振り向いて一瞬「あっ」と小さな声をあげた.

「どうかしましたか?」
「あ,いやなんでも」

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文壇のパーティには出版関係者から祖母の同業者までが顔を揃え,別世界を垣間見る気分である.かつて祖母の編集を担当し,今では編集長の地位にいる人のスピーチは流石に場慣れしたものだと感心する.

「… この本に,青いダイヤモンドのエピソードがありますね.女性が『女が月の青い光を身に纏うときは…』と言う意味深なシーン.青いダイヤには男を惑わす魔力があると言いますが,実はついさっき気づいたのです.先生のうら若き秘書さんの胸元にブルーダイヤモンドが輝いていたのを.あ,でも私はダメですよ,女房も子供もいるんですから」

パーティ参加者全員の視線が一斉に自分に集まり,恥ずかしくなってうつむくも,おばあちゃん,さては謀ったわねと,ちらりと祖母の横顔を見たが,祖母は素知らぬ素振りのままだった.

パーティも終わりに差し掛かり,あの編集者がやってきた.

「うちの編集長が失礼なこと言って,どうもすみませんでした」
「ええ,びっくりしました.先生の本は読んでいなかったもので」
「そのダイヤ,月の光にあたったら,もっと青く光るのかな.ちょっと外を歩きません?」

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「5月の物語「月の光」」への6件のフィードバック

  1. いやー、青春ですね、いいなぁ。でも三日月だと急がないと沈んじゃいますね。

    1. misssyさん,夏目漱石は I love you の和訳を「月が綺麗ですね」と言ったとか言わないとか.三日月だとチェシャ猫に見えちゃいます.

  2. ブルーダイアモンドってそういう宝石なんだ。
    でもこれ、マリッジリングにしたら危険だわね。

  3. ふん。ふん。
    このショートショートなかなかいけてます!
    「外を歩きません?」って甘い言葉には乗りませんことよ。
    危ない!あなたの狙いは、私ではなくて pale blue diamondなのね!!!

    1. いたずらリスさん,その後,殺人事件へと発展していくわけですね.やはりブルーダイヤモンドは呪いのダイヤ.

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