5月の休日物語,その4

普段なら不快な機械の低音が響き続ける大学の実験室も,連休中は静かである.休日お構いなしに出てくる実験室の主のような博士学生も居るが,この連休は電源を全て落とすと伝えてあるので,諦めてアパートで呑んだくれて寝てるのだろう.念の為に早朝に研究室へ出てきたが,実験室の主の気配は無い.今日がチャンスである.

落としてあった主電源を入れ,実験装置とコンピュータのスイッチを入れる.装置が低い唸り声とともに動き始め,コンピュータの画面にログインパネルが現れた.

パスワードを入力すると,装置制御コンソールが開き,ウォーミングアップの表示.装置が安定するのを待つ間,薬品棚の鍵を開け,幾つかの瓶を取り出した.

ビーカーにアミロースとアミロペクチン,スクロースを混合し,そこへNaHCO3を加える.蒸留水に溶解させた後,その実験試料を円形のプレートに広げて装置の炉内部にセットした.

実験装置
実験装置

実験温度を455K(ケルビン)にセットし,圧力は大気圧のままとした.炉内温度が上昇してくると,プレートに広がった試料から次第に泡が生成し始めた.どうやらうまく行っているようである.

小麦粉と砂糖,それにベーキングパウダーの主成分を使ってホットケーキを作ることができるのか.それが科学者としてのチャレンジだった.化学成分が同じなら,同じものを合成できるはず.科学的に間違っていないはず.その信念を心に燃やし続けて,この日に至った.

試料が次第に色付いてくるのを耐熱ガラス窓越しに観察しつつ,温度を微妙に調整し,降温プログラムをセットする.あと2分30秒で完成するはず.次第に香ばしい香りが実験室に広がってきたその時,部屋の片隅で物音がした.

ガサガサと繊維の摩擦音が聞こえた後,ジッパーが開く音.無造作に床に転がった寝袋から出てきたのは,実験室の主だった.

「おまえ,いたの!?」
「先生も休日出勤ですか?」
「ああ,いや,ちょっとやり残した実験があって…」
「ホットケーキ作るんだったら,タマゴも入れないとダメっすよ」

彼はそう言うと,薬品棚を開け,アルブミン,オボトランスフェリンと書かれた瓶を取り出してきて言った.

「リゾチームも少し入れた方が旨いっすよ」

FacebooktwittertumblrmailFacebooktwittertumblrmail

「5月の休日物語,その4」への8件のフィードバック

  1. 知らない薬品名ばかりで今日はまったくわかりませーん。
    でも、実験は失敗に終わり、中の掃除に苦労すると予測いたします。

    1. Chieさん,何を隠そう僕も薬品名はさっぱり分かりません.インターネットって便利ですね.実験グループが使ってる恒温槽をちょっと借りて,熱燗つけたことはあります.

  2. 間違っても食べたくないホットケーキであります。
    ホットケーキを焼いている装置の空間のことを想像するとぞっとします。
    スーパーやコンビニに置かれている電子レンジ絶対使いません。一度A-onのスーパーで悩んだ挙句使用しようと思って電子レンジのドア開けた途端異様な匂いと汚さに吐き気がしたという苦い経験があります。

    1. いたずらリスさん,細菌やってるような研究室だと,さらにホラーが出てきそうです.
      スーパーに置かれているご自由にお使いくださいな電子レンジを使うときは,まず気を送ると良いですよ.「ん〜〜〜〜〜,だばだ〜」ってやるときれいになります.

  3. これは合成なのかな?非核物理反応では?でも455ケルビンならシュークロースはラセミ化するから化学反応とも言えない事もない、でも合成ではないはず。まあでもリゾチームをいれたら豪勢なホットケーキにはなるかも。使ったリゾチームの原料が卵白であってヒトの涙や遺伝子改変されたカイコ(絹糸のかわりにリゾチームを吐く)でなかったことを願うばかりです。

    1. misssyさん,蚕でそんなことができるんですか.じゃあ人間の指先から糸を出すのも夢じゃないですね.カイコマンとか.
      なんか,リストラ専門にやってるみたいですけど.
      塩化リゾチーム配合しておけば,風邪にもよくきくホットケーキになりそうですね.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください